様々な人がいて、様々な文化があって、様々な時代がある。それは個人の一瞬にまで細分化されるので複雑極まりない。SDGs、最近よく見聞きする言葉。国連サミットで2016年から2030年に達成するよう掲げたもの<詳細はコチラ>。

2020年現在の世界人口は約77億9500万人で前年より約8000万人増加しました。日本の人口は約1億2650万人。前年より40万人減少。8000万人増というだけでも驚愕ですが、国連の情報によると2030年には世界人口は85億人、2050年に97億人、2100年に109億人に達すると予想。日本だけ見ていると気づきませんが地球全体ではそんなことになっています。それを知ってSDGsを見ると、違った印象になるかも知れません。

2050年までに最も大幅な人口増加が起きると見られるのはインド、ナイジェリア、パキスタン、コンゴ民主共和国、エチオピア、タンザニア連合共和国、インドネシア、エジプト、米国(予測される人口増が多い順)の9カ国。いまから10年で7億人、30年で19億人増える。いずれ人口は100億に達するとは言われてきましたが、いよいよ現実になる日が見えてきました。平均寿命も延び続ける中で100億もの人が生きられる環境を整えなければいけない。

かつてはエジプトやトルコ、ローマやモンゴルが帝国を成した時代から自身が生きる時代ではアメリカが世界の覇権を握り、そこに中国が追い付こうとしている。自国に納税するとは限らない、また国内で生産消費するとは限らない時代になったことで国という単位には昔のそれとは違う価値観が必要になり、ある意味ではコロナがボーダーレス時代の最後の防波堤にさえ思える。仮に日本が1億の人口で世界第一位の経済大国になる日が来たとして、それは相対的に円の価値が跳ね上がった結果であったり政府が株価を買い支えしている背景があったり数値的な判断でしかない経済というものに翻弄されてしまう現代という時代に人の幸せと言う最も根本的なテーマを語るには、もう少し人類が思考のステージを上げなければいけない気がする。

世界平和をキレイゴトの一言で一蹴することは簡単。しかし人類が誕生してからきっと一度も達成されたことのないゴールだとするならば、それが何を意味するとしてもすべてを懸けて挑んでみる価値はあるように思える。